なぜ右派政治運動は失敗を繰り返すのか

日本国民党情報宣伝局長 金友隆幸

 

またも「保守新党論」
 
 今年六月、作家の百田尚樹氏が、LGBT法案が成立したら、自ら保守新党を立ち上げることを自身の動画で宣言した。
 
 百田氏の気持ちは分からないでもないが、「また歴史は繰り返されるのか」と思ってしまった。
 
平成は右派政党挫折の歴史
 
 平成の御代は、実に「右派政党」の挑戦と挫折の繰り返しの時代だった。
 
 青年自由党、維新政党・新風、次世代の党から日本のこころ、あらゆる政党(政治団体)が国政選挙に挑戦しては挫折し、散って行った。
 
 直近であれば、令和4年の第26回参議院議員通常選挙には、過去最多となる数の右派政治団体が比例代表にも候補者を擁立したが、その結果は幸福実現党にも負けて、ドングリの背比べで「最下位独占」となった。
 
 なぜ右派政治運動は、こうした失敗を繰り返すのだろうか。
 
繰り返される負け惜しみ
 
 選挙が終わると、こうした団体の幹部らは「我々は議席を取るのが目的ではない」「正しい思想を持って、正しい事を主張していれば、議席なんか取れなくても良い」「我々が当選しないのは国民がバカだからだ」といった事を異口同音に言い始める。
 
 イソップ童話で、ブドウを取ろうとして取れなかったキツネが、「あのブドウは酸っぱいはずだ」と言い出すのと似ている。
 
 これが企業であればどうか。株式会社で投資を募って挑戦した事業が失敗すれば大問題になる。その後の株主総会で、経営陣が「あの事業を成功させるのが目的ではないし、売れなくてもいい。我々は正しい商品を作っているから、消費者が買ってくれなくてもいいんだ」と放言したら、たちまち総会は大荒れで「金返せ!」の債権者集会に変貌してしまうだろう。
 
なぜか認められる言い訳
 
 ところが、日本の右派政治運動では、こうした合理化・自己正当化にも似た「正しい事をしているから、世間から評価されなくても、議席が取れなくても良い」といった理屈が、ある程度そこそこ受け入れられてしまっている。
 
 私自身も以前、とある政治団体の総会に出た時、執行部に対して選挙の敗戦を問う声よりも、こうした「正しい事をしているから…」の理屈を首肯する空気の方が強かったのを覚えている。
 
 ではなぜ、こうした思考が日本の右派陣営の中に根深くあるのだろうか。
 
朱子学の呪縛
 
 一つには江戸時代の官学であった朱子学の影響ではなかろうかと思う。
 
 朱子学とは、中国の南宋で生まれた儒教の一派だ。朱子学の特徴を非常に端的に言ってしまうと、「正統性のある存在に忠義(誠)であれば、世間から評価されなかろうが、殺されようが構わない」といったものだ。
 
 粗削りだが、右派政治運動が「正しい事をしているから、世間から評価されなくても良い」と、失敗を正当化する言辞の雛型がそこに見てとれる。
 
 江戸時代、明の滅亡にともない来日した朱子学者の朱舜水は、楠木正成公の「嗚呼忠臣楠子之墓」の碑銘賛を書いている。
 
 
 朱舜水は、尊皇を貫いた楠木正成公の、湊川における壮烈な戦死を朱子学における美徳とみなした。
 
 朱子学は江戸時代に盛んに学ばれた。その中でも、山崎闇斎門下の朱子学者である浅見絅斎は、中国の歴史上の「義士」とされる人物らの生き方をまとめた『靖献遺言』を著し、正統性と忠義(誠)のあり方を強く説いた。
 
『靖献遺言』の影響
 
『靖献遺言』は幕末志士の間に広く読まれたという。
 
 
 国を憂いて「汨羅の縁」に身を投じる楚の屈原や、敵国の獄中にあって「正気の歌」を詠んだ宋の文天祥など、日本の右翼思想に造詣がある人ならば、知っている名前ばかりだろう。
 
 屈原の故事は「昭和維新の歌」に歌われ、文天祥の「正気の歌」は水戸学の泰斗、藤田東湖によって詠み直された。
 
 これら『靖献遺言』では、朱子学の理想的人物とされた中国人「義士」たちが、律令制国家である中国において、正統性と絶対的権力を持った皇帝に忠義を尽くす言動が描かれている。
「正統的絶対権力と自己」の関係性しかそこには登場しない。
 
日本と中国は国の形が全く違う
 
 しかしながら、日本においては平安時代に、中国から輸入した律令制は早くに崩壊し、朝廷と武家政権である幕府が併存する、世界にも稀な国家体制が出来上がった。
 
 中国において律令制が崩壊するのは、辛亥革命によって清が倒れて中華民国が成立するまでだが、それ以降も中国は一極集中専制支配体制が続いており、日本とは全く国の形が違っている。
 
 江戸時代に学ばれた朱子学は、その後、「朝廷があるのに幕府が権力を握っているのはおかしい」と、倒幕の思想につながっていく。
 
 本来であれば、日本における朱子学の歴史的使命は、大政奉還・王政復古を遂げた明治維新で終わるはずだった。
 
 その後、日本には文明開化で外国から様々な文物や思想が流入してきた。
 
日本の右派は朱子学の子孫
 
 しかし、朱子学の思想は名前や看板を変えながら、日本の右派陣営の中核に根深く残り続けた。
 
 恐竜の子孫が鳥になったかのように、中国大陸からやってきた朱子学は日本の右派思想に変化したともいえる。
 
「昭和維新」を呼号した複数のクーデター事件も、幕府に擬した政府・閣僚・政治家を排除(尊皇討奸)し、天皇親政の実現を目指そうとしたが、それより先の青写真、将来計画は無きにひとしかった。
 
 
 こうした「昭和維新運動」の思想的影響として、思想家の北一輝などが取り沙汰されるが、むしろ「昭和維新運動」は、「律令体制の中で正統的皇帝が絶対権力を持つ」「天皇がおわすのに政府が存在するのはおかしい」という、支那の伝統的国家観をモデルとした朱子学の残滓による影響の方があったのではないか。
 
朱子学で近代民主主義の選挙は不可能
 
 朱子学においては、「正統的絶対権力と自己」の関係性しかほぼ存在しない。「あらゆる勢力を説得して政治的合意を形成する」といった教訓や、「国民大衆を納得させて支持を得る」という近代的民主主義社会で当然とされる手法は、朱子学においては絶無にひとしい。
 
 こうした朱子学の残滓的発想が、「正しいのは自分たちだけであり、他団体とは共闘しない」という右派政治団体に特徴的な独尊の姿勢につながっていたり、「自分たちが支持されないのは国民がバカだから」という大衆への蔑視と乖離に結びついている。
 
 そして、究極的には「正しい事をしているから、世間から評価されなくても、議席が取れなくても良い」という自己正当化が起きる。
 
 つまり、朱子学的価値観のまま近代民主主義社会で選挙に挑むということ自体が、中華料理のレシピを見ながら日本家屋を作ろうとするぐらいズレたものだと言える。
 
 福岡の故馬場能久氏が平成22年に「私達(維新政党・新風)が未だに国民から政党としての認知を得られない最大の理由は、党の運営方針が国民から遊離しているからです」と指摘していたのも、党の朱子学的体質を指していたものと今になって理解できる。
 
朱子学的思考を捨てて国民と共に歩む
 
 日本とは、天皇をいただいた議会制民主主義国家であり、政府と多数党が存在し、日本国民の合意に基づいて政治が行われるというのが基本の大原則だ。
 
 そこに中国生まれの朱子学を持ち込んでも、日本社会が良くなる道理が存在しない。
 
 右派政治運動を含めて、日本の愛国運動が失敗を続けた原因は、朱子学の擬似正統主義(中国的価値観に基づいた虚像の「あるべき日本」および「あるべき天皇」)を希求したが為に、あるがままの現実の日本に生きる国民と乖離してしまったことだろう。
 
 当然、現実に根差さぬ空論は失敗するが、自らが「正統」と任じているので、「現実」(国民)を「馬鹿だ」と罵倒し、「辻褄合わせ」をしようとするが、それによってますます自分たちと現実(国民)とが乖離していく悪循環に陥る。
 
 日本社会を変えるには、こうした朱子学的思考から決別して、あるがままの日本を受け入れて、事実・現実・常識を踏まえて、可能なことを行なっていくという事に尽きる。
 
 明治天皇「五箇条の御誓文」に曰く、
「一、廣ク會議ヲ興シ、萬機公󠄁論ニ決スヘシ」
 
 日本国民党綱領に曰く、
「一、わが党は、日本国民と共にある国民政党である。国民と苦楽を共にし、国民と同じ言葉で提案し、国民と同じ思いで実践する政党である。」
 
 朱子学の残滓のような思考を捨てて、常に国民と共にあり続けようと徹する事こそが、これからの右派政治運動成功の要諦だろう。