活動の軌跡

草創期の戦い

平成8年1月、山崎幸一郎先生を代表にして結成。千代田区二番町に事務所を開設。

平成10年3月、千代田区麹町に事務所を移転。

平成10年7月、第14回参議院議員通常選挙東京選挙区に候補者を擁立し3286票を獲得。

平成13年7月、第15回参議員通常選挙東京都選挙区に候補者を擁立し1万601票を獲得。

平成16年3月、松村久義が代表となる。

同年7月、第16回参議員通常選挙東京選挙区に松村久義を擁立し1万479票を獲得。

同年9月、中央区築地に事務所を移転。

同年12月、鈴木信行が代表となる。

平成19年7月、第17回参議員通常選挙東京選挙区に鈴木信行を擁立し2万1548票を獲得。

平成20年3月、現在の場所に事務所を移転。

同年6月、松村久義氏が死去。

平成22年7月、第18回参議員通常選挙東京選挙区で日本創新党の山田宏候補を組織支援し20万692票を獲得。

平成22年12月、荒木紫帆が代表となる。

対韓国闘争の開始

平成24年3月、港区の韓国大使館領事部前に「竹島の碑」を打ち込んだのを契機に、全国的な対韓国の「竹島の碑」闘争を開始する。

同年6月19日、鈴木信行と山本和幸が韓国ソウルの日本大使館前にある売春婦像に竹島の碑を縛り付ける。7月10日、韓国政府が両人を韓国入国禁止措置とする。

同年8月22日、村田春樹と櫻井達郎が韓国の慰安婦博物館など2ヶ所に竹島の碑を設置する。8月27日、韓国政府が両人を韓国入国禁止措置とする。

同年11月、党大会において政策大綱から「日韓友好」を削除し、「日韓国交断絶」を正式な政策方針とする事を決定。

平成25年7月、第19回参議員通常選挙東京選挙区に鈴木信行を擁立。過去最高となる7万7465票を獲得する。

平成26年2月、東京都知事選挙で田母神俊雄候補を組織支援し、61万865票を獲得。

平成28年7月、第20回参議員通常選挙東京選挙区に鈴木信行を擁立し4万2858票を獲得。

独立。そして日本国民党へ

平成29年7月7日、対韓国闘争方針などを巡り「維新政党・新風」から脱退して「維新政党新風東京都本部」として独立する。同調する全国の党員たちも行動を共にする。

同年11月13日、葛飾区議会議員選挙で鈴木信行が2587票を得て初当選。

同年12月17日、総会で新たに党名を「日本国民党」と改称し、鈴木信行を代表として、新しい綱領、規約、政策方針、活動方針を採択する。

平成30年12月1日 「日本国民党」として初の党大会を東京都中央区で開催。

平成31年3月、元号事前公表反対運動に取り組む。

平成31年4月21日 統一地方選挙にて推薦候補4人のうち、2人当選、2人落選。

令和元年5月27日、三菱重工株主総会に押し掛けてきた自称韓国人徴用工に抗議。

同年8月、愛知県知事国賊大村秀章糾弾運動を開始。

令和2年1月、中国武漢からの新型コロナウィルス発生(武漢肺炎)に対して、中国人の入国禁止を訴える。

同年12月6日、「日本国民の集い」を東京都中央区で開催。