戦場の最前線に迫る ウクライナ再訪記② 日本国民党政策局長 川東大了
最前線都市ハルキウへ向かう
四月十日、ウクライナ東部の街ドニプロからバスで北上し、この旅で三つ目の街であり、「最前線都市」のハルキウへと向かう。
ここはロシアとの国境から三十キロほどで、ドニプロより、更に最前線に近い街だ。
三十キロを日本で置き換えると、私の住む大阪では大阪駅から神戸の三ノ宮駅。東京駅からだと神奈川県の横浜駅だ。そこに侵略軍が来ていると思うとかなり近い。
この街では地下鉄のメトロが全線無料で開放されていた。(ドニプロではメトロを利用しなかったので、有料なのか無料だったのか未確認、運行していたのかも含めて未確認だ。)
恐らく最前線から近く、空襲も頻繁にあるようなので、地下鉄が防空壕として機能し、頻繁に市民が地下鉄に逃げ込む事があるのだと思われる。
だから、いちいち運賃を取って運行する事が困難となり、無料でいつでも誰でも自由に無料で利用出来るように解放されているのだろう。
地下鉄の車内には、戦闘服を着た軍人や、戦闘で怪我をした傷痍軍人たちの姿が目立ったのも、「最前線都市」を感じさせた。
ハルキウはロシアからわずか三十キロなので、空襲だけではなく、「地上侵攻」の脅威にも晒されている。その為か市街地各所に、三本の鉄筋を互い違いに溶接して作った「対戦車障害物」が設置されていた。
鳴りまくる空襲警報
ホテルにチェックインしてから街中を少し散策していると、突如スマホが鳴り始めた。何やら警報のようなアラームが鳴り、何事かとスマホを見てみると「緊急速報」のメッセージが。
速報の内容自体はウクライナ語だったので読める訳ではないが、空襲警報に違いない。しかも夕方の一時間おきに頻繁に鳴る。
周りの様子を見てみたが、通行人達は慌てる素振りもなく、何事もないように町を歩いていたが、私はアプリを入れていないので、この緊急速報には少し驚いた。
それだけ、空襲の頻度や危険度も高いと言う事なのだろう。余談ではあるが、私の滞在中にハリコフの町には実際に空爆があったようで、日本にいる仲間から教えて貰った。
空襲があった場所、危険な場所を示すアプリの示すハルキウの地図は爆弾・ドローン・ミサイルマークだらけで「真っ赤」になっていた。
連日連夜の空襲
それ以外にも私がウクライナを出国した一週間ほど後の四月二十四日には首都のキーウに大規模な空襲があった。その内容を報道で見ると、弾道ミサイル十一発、巡航ミサイル五十九発、長距離ドローン百四十五発で、十名ほどの死者と百人近い怪我人を出す大きな被害も出ていた。
ハルキウは連日のように攻撃を受けていた。街の中心部には、他のウクライナの街と同様に戦死者を追悼する広場と追悼碑が設置されていたが、その中には戦争で犠牲になった多くの幼児たちを追悼する碑もあった。
「三歳の幼い子が残酷な目に遭い、残念ながら決して大人になる事のない小さな天使たちへ」といった意味の碑文が記されて、多くのぬいぐるみが供えられていた。
それでも祖国に
そのような経緯もあり、去年のリヴィウやキーウと違って、ドニプロやハリコフに関しては「平和そのものだった。日本に逃げて来ているウクライナ人はドニプロやハリコフに戻っても大丈夫だ」とは言えない事も分かった。
ただ、それでも多くの市民は、その危険な町から逃げ出す事なく、その地に留まって(日常生活を続ける事で)戦っているのも事実なので、「避難民」たちは、やはり早い時期に祖国には帰るべきだとは思う。
前線に近く危険度の高い所から避難して来ているのなら、比較的安全な西側の町(リヴィウとか)とかに戻るなど方法はあるはずだ。
これも余談になるが、私はカンボジアが大好きで、実は真剣に老後はカンボジアへ移住しようかと考えた事があった。
カンボジアは銀行の金利が五%ほどの国なので、五百万円位持って行けば(最低限のレベルなら)利息だけで生活が可能だ。一千万円持っていけば、充分生活出来る国だ。
けれども、最終的に断念した。理由は台湾有事などで日本も支那との戦争に突入する可能性があると思ったからだ。
私は「来るなら来い、返り討ちにしてやる」ぐらいに思っているのだが、真っ先に国外に逃げ出しておいて、そんな勇ましいセリフを吐いたところで、只の卑怯者でしかない(笑)。
世の中には開戦当初、愛国者を称しながら「ウクライナへ義勇兵に行く」と言いながら、一向に行かない者もいるらしい。
そうした言行不一致にはなりたくない。日本が沈む時は、祖国と命運を共にする覚悟で「いつでも来いや」と言わない事には言行一致しない。そう思ったからだ。
少なからず、私も危険を覚悟で祖国の日本に留まる事を決意した人間の自負がある。
だからこそ「ウクライナの全土に安全な場所は残っていない」訳でもないので、ウクライナ人に「祖国を守る為に、祖国に帰ってそこで生活する事が大事だ」と言う資格があると思っている。
またウクライナに行きたい
今回の訪問によって、去年が「安全だと思う。早く帰った方が良い」的な意見だったとすると、今年は「危険なのは分かる。それでもウクライナ国民としての誇りがあるなら、その危険の中で祖国の為に戦う方が良い」的な意見に少し変化した。
早く戦争が終わって本当の平和が訪れ、日本からウクライナへと直接、飛行機で渡航出来るようになったら、また行きたいと思う。
一日も早いウクライナ戦争の終結を心から願うところである。
(しんぶん国民6月号)