平泉澄博士『物語日本史』の中国語訳 歴史研究家・渡貫賢介

本紙令和7年3月号に掲載された情報宣伝局長・金友隆幸氏の記事「朱子学で対日精神侵略する中国」は刺激的なものであった。『人民日報日本月刊』に「水戸学再検討の時代」と題する連載が掲載され、そこでは水戸学の淵源が中国にあることが語られるとともに、「脱亜入欧・西洋化」に狂奔した日本の近代の再検討に水戸学は有益とされていたという。

金友氏は、これを右派に対する精神侵略に他ならないと喝破する。「甘言を用いて日本のナショナリズムをくすぐりつつ、近代日本のナショナリズムに与えた中国の影響を利用して、日本を欧米から離間・分断させ、中国の強い影響下に引き入れようとするのが狙いだ」。

この考察に、筆者も強く同意したい。一見、日本に対して理解しているような論調であっても、「誰が」「何のために」書いているのかは常に考えられねばなるまい。

さて、『人民日報日本月刊』の連載ではいわゆる皇国史観で知られる平泉澄博士の高弟・名越時正氏の『水戸学の道統』(錦正社)が用いられていたというが、この平泉博士晩年の著書に、『物語日本史』がある。もとは『少年日本史』と題したもので、博士の歴史観から日本史を大観したもの。現在は講談社学術文庫で上中下3冊本になっており、売れ続けて版を重ねている。日本史上の偉人の活躍を美しくえがいた名作である。

ところが驚いたことに、この『物語日本史』が平成29年、中国の社会科学文献出版社から中国語に翻訳刊行されていた。平泉博士の学統を継ぐ学術誌『藝林』令和7年4月号に掲載された、岐阜聖徳学園大学准教授・横久保義洋氏「書評 梁曉弈(第一冊)黄霄龍(第二冊)劉晨(第三冊)訳 漢訳『物語日本史』」がその内容を検討している。以下、横久保氏の書評にもとづき、その内容をうかがってみたい。

訳者たち曰く、物語調でリズム感があって多忙な現代人にも読みやすい、古典の引用により人物の心理をよくえがいている、日本人の自国文化理解が分かる、といった点が翻訳に踏み切った理由らしい。

とはいえ、日本史・日本文化・日本語に対する知識不足や解釈の誤りによって、かなり誤訳・誤解が多いらしく、極端な例としては、福島正則が江戸城の築城で「骨を折った」(苦労した)というのを「骨折した」と翻訳しているという。

これは笑い話だが、脚注において「原著者である平泉博士の叙述内容を否定したり揶揄・中傷を加えたりしているものが非常に多く見受けられる」というのは見逃せない。事実関係に対する否定的な脚注は、多くが的外れであったり、根拠不明であったりするようだが、中国側の歴史認識にもとづく脚注もあるという。たとえば韓国併合に関する記述について、「これらの内容に対する批判的閲読を通じて、中国人読者は〈皇国史観〉の基本的誤りをはっきりさせることができるのだが、これもまた本書の翻訳出版の目的の一つである」といったもの。

こうした脚注について、横久保氏はこのような文言を挿入しなければ訳書の出版自体できなかったと考えられるので、「多少は同情の余地がないわけでもない」といい、訳者自身が「本書を読んでいる時、その学術的観点に共鳴することは決して難しくない」と序で述べているくらいであるから、中国人読者にいわゆる皇国史観への賛同者が出ないための「予防線」かもしれないとも述べる。平泉博士の本がいくら立派なものだからといっても、「皇化」を期待するのはさすがに楽天的に過ぎようが、こうした脚注は、翻訳の政治的意図を正直に吐露したものと素直に受け取ってよいと思う。もし訳者自身には政治的意図が存在しなかったとしても、訳書は政治的意図にもとづいて使用されていくだろう。

その意図とは、小さく見積もれば、「敵の思想を知ること」であるが、大きく見積もれば、金友氏が指摘するような、日本の右派に対する精神侵略の準備である。平泉博士のような伝統的右派知識人の中国古典・思想、中国の忠臣の事蹟に対する尊重をうまく利用して、日本のナショナリズムを中国の影響下に置くつもりなのだろう。いくらなんでも考えすぎで、陰謀論の類だと言われるかも知れないが、熱海市の徐浩予が「徐福後代」と称したり、沖縄で中華系の運営する歴史施設が沖縄と中国の歴史的つながりを強調したりと、中国(人)の歴史・文化の利用は現在進行形である。

もし中国人に、「あの平泉澄博士も、こうおっしゃっていますよ」と言われれば、一瞬驚き、また感心もするだろうが、「誰が」「何のために」という観点から、そうした物言いを厳しく吟味していかねばなるまい。

(しんぶん国民5月号)