朱子学が「玩皇家」を産む

日本国民党情報宣伝局長 金友隆幸

 

上から目線で皇室を批判する「尊皇家」
 
 本紙の令和3年9月号で「皇室研究会顧問」の村田春樹先生が、「尊皇家」を自称しながら皇室を罵倒する者のことを「玩皇家」と名付けていた。
 
 いわく、「彼らにとっては天皇も皇族も尊崇の対象ではなく、愛する対象でありアイドル歌手の様なものなのだ。気に入った歌を歌っていれば大好きで玩(もてあそ)ぶが、自らの意に添わないと弊履のように捨てて罵り始める」と。
 
 アイドルや歌手を見比べるように、「〇〇天皇は偉かったが、△△天皇はそうでもない」「〇〇内親王は素晴らしいが、〇〇内親王は良くない」と、「尊皇」を謳いながら、上から目線で皇室を評論して見せる者がいる。
 
 こうした言動が反日左翼勢力ではなく、尊皇・保守を自称する勢力からなされるところに、右派陣営の病巣の深さが垣間見える。ではなぜ、保守の「尊皇家」が往々にして「玩皇家」となってしまうのか。
 
中国の皇帝観と革命思想の残滓
 
 先月号で「なぜ右派政治運動は失敗を繰り返すのか」でも書いたが、日本の右派陣営は、幕末以来、中国の朱子学の強い影響を受けてきた。
 
 朱子学では皇帝に「諌言」したり、皇帝を倒して取り替える事が積極的に肯定されている。
 中国戦国時代の孟子は、斉の宣王から「湯王が桀王を放ち、武王が紂王を伐つことがあったと聞くが、臣下が王を殺しても良いのか?」と聞かれるや、
 
 
「仁をそこなう者、義をそこなう者は一夫(王ではなく、ただの人)だからこれを殺しても王を殺した事にはならない」と答えている。これが「湯武放伐論」とされる中国の革命思想だ。
 
 江戸時代の朱子学においては、この「湯武放伐論」は山崎闇斎らによって概ね否定された。
 
 しかし、日本の天皇が代々続いて来たのは、朱子学的価値の「徳」を有していたからであり、「徳」なき天皇は皇位を失うはずだから「批判・諫言してよい」とする朱子学思想は、明治以降から戦後まで、日本の朱子学者や右派陣営など一部で細々と命脈を保ち続けてきた。
 
不敬罪なきあとの「尊皇家」の不敬
 
 不敬罪も廃止された戦後、昭和33年、皇太子殿下(現在の上皇陛下)の御成婚が発表されると、一部の愛国団体が「平民が皇室に嫁ぐなどけしからん」と騒ぎ始め、現在の上皇后陛下の御実家に婚約辞退を迫る脅迫電話までかけてきたという。
 
 国民や社会が変わると共に皇室のあり方も変わってきたが、それを理解できず、朱子学的な古代中国の皇帝像を理想としたり、因習と伝統の区別が付かない「尊皇家」が御成婚反対運動をしたのだ。
 
皇室バッシングを正当化してきた朱子学
 
 こうした朱子学的思想は、平成になってから商業論壇雑誌を通じて、大衆の俗情と結びついて拡散されることになる。
 
 平成5年、皇太子殿下(現在の天皇陛下)御成婚の年、週刊誌が「皇室の危機」「『開かれた皇室』で皇室の伝統が壊される」と騒ぎ、「皇后陛下(現在の上皇后陛下)バッシング」をはじめた。半年にわたる過熱報道の末、皇后陛下が倒れられて、失声症になられる事態にまでいたる。
 
 こうした週刊誌の「皇室バッシング」に保守の学者として賛意を表し、権威と正当性を与えてサポートしてきたのが、儒教・朱子学の影響を強く受けた「保守学者」たちだった。
 
 大阪大学名誉教授で中国思想(儒教)の専門家である加地伸行は雑誌『諸君!』(平成5年12月号)において、
「私の天皇像とは、天皇制を遂行できる天皇である。もしそれができない天皇ならば退位してもらいたい」
「皇后の役目は、ダンスでもなければ災害地見舞でもない」と放言している。
 
 この加地伸行は性懲りもなく、平成28年に『WiLL』(平成28年6月号)で西尾幹二と「いま再び皇太子さまに諫言申し上げます」と題して、現在の天皇皇后両陛下に対する、罵詈雑言まみれの対談をしている。
 
「雅子妃は国民や皇室の祭祀よりご自分のご家族にご興味がある」
「個人主義の名を借りた利己主義」
「愛子さまがもっと幼いときに母子を引き離すべき」
「日本が維持してきた家族主義を崩している象徴」だの、
皇后陛下を「夢幻空間の宇宙人」だの、不敬千万滅茶苦茶な事を言っている。それを加地伸行は儒教の『孝経』を根拠に「諫言だ」と正当化する始末だ。
 
朱子学的天皇観で日本はどうなるか
 
 現在、「徳なき天皇・皇族は批判・諫言してよい」という朱子学的天皇観は、商業「保守」雑誌とネット動画サイトで爆発的に拡散し「玩皇家」を大量生産している。
 
 天皇陛下は政治的実権や選挙権も無ければ、自らの政治見解を公開されたり、誹謗中傷に反論される自由も無い。それを良いことに「諫言・忠言」で罵詈雑言とは卑劣千万だ。
 
 朱子学的天皇観で生じるのは、こうした卑劣な罵詈雑言だけではない。すでに述べたように、朱子学は「徳なき天皇の退位」を積極的に認める思想を帯びている。「徳」という不可知な基準を理由に退位を求めるのは、「自分の気に食わない天皇は退位しろ」とほぼ同義だ。
 
 さらに朱子学では皇位の正統性について、「簒臣、賊后、夷狄は正統とせず」と明確な基準を設けている。
 
 簒臣とは武力や政治的圧力で皇位を奪った者で、壬申の乱の天武天皇などが当てはまる。
 
 賊后は女性が皇位につくことを正統と認めないものだが、日本では八方十代の女性天皇がおられた。
 
 夷狄は異民族、外国人を指すが、そもそも中華主義の中国から見れば、日本が「天皇」を名乗っている事自体がこれに該当しよう。
 
 つまり朱子学的基準を突き詰めて日本の皇室を見ると、「正統性が無い」という議論が出て来るか、「中国の歴代王朝に劣る」という馬鹿げた結論が生じる。
 
 更に危険な考えもある。江戸時代の朱子学者である林羅山は、「神武天皇論」で「日本を以て呉の太伯の後と為す」と述べ、神武天皇や皇室の祖先が「太伯」という中国人だと言っているのだ。
 
 
 他にも「秦の徐福が来日して日本人になった」とする説もある。
 
 チベット、ウイグル、香港、台湾を見ても分かるように、中国人は「敵だ」と言って侵略して来ない。「同胞だ」と言って侵略して来る。その点からして、朱子学が本源的に持つ中国への憧憬、一体感とそこから生じる「中国起源論」は極めて危険だ。
 
 以上の事からまとめると、朱子学的天皇観は、
①「諫言」と称した皇室罵倒を正当化する
②気に食わない天皇への退位論を正当化する
③中国の基準で皇室の正統性を貶める
④日本は中国の子孫というプロパガンダと中国崇拝の元になる
 
 朱子学は大衆の俗情と結合して「尊皇」を呼号しながら皇室を罵倒する「玩皇家」を産みだすだけではなく、国体破壊と中国人の精神侵略に加担する危険思想と言える。
 
純朴な尊皇精神への回帰
 
 西行法師は伊勢神宮にお参りした時、
「何事の おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」との歌を詠んでいる。そこには宗教や政治の理論理屈は無く、尊いものに接しての純粋な感動だけがある。
 
 この感慨は、戦災で家を失った人々が昭和天皇の御巡幸に接した時や、大震災で被災した人々が、お見舞いの行幸にいらした天皇陛下に接した時の感動に近いものがあるように思う。
 
 昭和天皇は昭和21年の「新日本の建設に関する詔書」において、「朕と爾等国民との間の紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とによりて結ばれ、単なる神話と伝説とによりて生ぜるものに非ず」とおっしゃっている。
 
 日本は元来、中国朱子学基準の「徳」や理論理屈、疑似正統主義などが介在せずとも、国民は純朴でふんわりとした敬慕の思いで天皇を仰ぎ、天皇は無私の御心で国民を慈しまれてきた。この紐帯こそが「君民一体」だ。
 
 戦後、「不敬罪」や「御真影」が無くなっても、多くの家で皇室カレンダーや新聞から切り抜いた皇室ご一家の写真を大切に飾り、皇室の慶事があれば皆大いに喜んだ。そこには何の強制も理論も無いし、日本人の尊皇精神はこうした純朴なものだからこそ尊いと思う。
 
 日本人が回帰すべきは外来の理論理屈を借りぬ、純朴な尊皇精神だろう。