ウィシュマさんを偲ぶ会の現場から(九十九晃)

偲ぶ会の会場

偲ぶ会の会場

 入管施設収容中に死亡したスリランカ人女性の、ウィシュマ・サンダマリさんを偲ぶ会が五月二十九日、築地本願寺で斎行された。私は故人を悼みつつ、入管法改正案を巡りウィシュマさんを利用する左翼勢力の動向を探るべく、偲ぶ会の列に並んだ。

 現場には、立憲民主党の石川大我参議院議員のほか、安田浩一氏、神奈川新聞の石橋学、「ヘイトカウンター」を自称する極左活動家の姿が確認できた。

参列者を「選別」する偲ぶ会

 開かれた行事での飛び込み取材は不思議な話ではない。私は受付で「しんぶん国民」の名刺を出し、取材の意思を伝えた。

 だが、ここで石川参議と別の女性スタッフが私に参列拒否と退去を要請してきた。女性スタッフは「差別主義者の九十九晃さんですよね。参列もお断りします。お帰りください」と告げた。

 私が「主催者(ご遺族)が差別主義者と判断して、参列を拒否したのか」と確認すると、女性スタッフは「今日の実行委員会で決まったことだ。主催者を連れてくる」と返答。

 しかし、待てど暮らせどスタッフが主催者を連れてくる気配がない。石橋学が発した「差別者は帰れよ」の奇声で偲ぶ会の会場は騒動寸前だ。場の混乱は私の本意ではないので、「主催者本人でなくても構わない。どなたか『お話のできる方』に繋いで欲しい」と言い残し、会場を後にした。会場の外に出ると、五分も経過しない内に石川参議の秘書が到着。秘書は「取材は事前申込制かつ招待」と話し、参列についても女性スタッフから改めて拒絶された。

 だが、広く告知されていた偲ぶ会には当日飛び込みで入ったメディア関係者の姿も確認されており、「差別主義者」と決めつけてしまえば、ウィシュマさんに悼む権利を奪うこと他ならない。

やっぱり「政治集会」だった!

 石川参議は「政治や個人(組織)の信条は持ち込まず、静かに会は終了しました」と発信していたが、虚偽報告も甚だしい。

 社民党・立憲民主党といった左派政党の国会議員が列席し、支援者の挨拶で登壇した鳥井一平氏は「入管法『改悪』反対!」「移民・難民と一緒に社会を作る!」などと参列者を煽る。これでは、ウィシュマさんを偲ぶ会ではなく「入管法改正案」反対集会と呼んだ方がすっきりする。

夢の頓挫から「不法滞在者」

 令和三年三月六日、名古屋入管でウィシュマさんは死亡した。ウィシュマさんは平成二十九年に「留学」のため来日。平成三十年九月、在留期限ギリギリで「難民申請」を提出したが、出入国在留管理庁は難民認定に該当しないので在留期限の更新を不許可とした。ウィシュマさんは「帰国」を理由に申請を取り下げている。

 ウィシュマさんは周囲に「日本の子供たちに英語を教えるのが夢」と話していたそうだ。だが、学費が払えないことを理由に退学し、そのことで「留学」の在留資格を失うことになった。

「スリランカに帰りたい」出頭・収容、そして死。

 令和二年八月、ウィシュマさんは静岡県内の交番に出頭。名古屋入管に収容された。

 出入国在留管理庁が明らかにしたウィシュマさんに関わる中間報告書により、入国警備官に「スリランカに帰国したい」などと供述している。

 入管は強制送還に向け調整していたが、十二月に入り、ウィシュマさんが「本邦在留希望」に転じたことで「スリランカ帰国」は暗礁に乗り上げた。

 その後、体調不良の為、仮放免を申請。これが認められず、心身ともに衰弱し、令和三年三月六日にウィシュマさんは亡くなった。

「人権派弁護士」が「難民申請」をそそのかした?

 留学生が突然「難民申請」を出した。これには入管法の限界を突くようにそそのかした「人権派弁護士」の存在が起因していると言われている。

 ウィシュマさんは「日本で働きたい」思いを強く抱え、「人権派弁護士」に相談したところ「難民申請をすればその間は送還されることはない」などと助言されたという。

 現在の入管法では、たとえテロリストであっても難民認定手続中の外国人は申請の回数や理由などを問わず日本から退去させることができない。

左翼勢力に利用されたウィシュマさん

 左翼勢力は今国会での議論が見送られた入管法改正案を「改悪」と呼び、反対活動を広く展開していた。左翼勢力は収容された外国人に食事を拒否する「ハンスト」を行わせ、健康状態の悪化を理由に仮放免を勝ち取る手法も取っている。今回の同法改正案ではそれらを封じ、収容の長期化を防ぐことで適正な管理を推進することが目的の一つであり、左翼勢力から見れば受け入れがたい「改悪」だったのだろう。

 鈴木傾城氏は「ウィシュマさんは本当に気の毒だ。『病気になれば仮釈放されるよ』と破滅的な助言を左翼にされて死んでしまった」と指摘しているが、まさにその通りだろう。

最後に。

 そもそも、ウィシュマさんが適正に収容されて帰国なりしていれば起きなかった問題であり、だからこそ、入管施設で亡くなられたことは大変胸が痛む。それを入管法改正案全体の話にスライドさせるのはフレームアップに等しい行為だ。

 ウィシュマさんの「不法滞在」と「入管が劣悪」であること、そして「入管法改正案」。これらを一括りにして政治的圧力を強めることが故人に悼むことになるのだろうか。

 私は、不法滞在には厳しく「強制送還」を実行できる制度の確立を熱望している。

 だが、「スリランカに帰りたい」と自ら交番に出頭し、入管に収容され、帰国が叶わず亡くなったウィシュマさんを偲ぶことはそれと全く別だ。

 これらを同一視して、参列すらも否定するのはウィシュマさんの死を政争の具として扱っている不届き者だ。

 末尾ながら改めて、ウィシュマさんに心より哀悼の意を表す。

(九十九晃)