「民族を一括りにするな、日本人にも犯罪者はいる」と抗議を受けた(川東大了)

川東大了政策局長

川東大了政策局長

 以前「民族を一括りにするな、日本人にも犯罪者はいる」と抗議を受けた。わざわざ反論を要する事ではないが、折角なので述べておきたい。

 例えば、煙草には注意書きが書かれてある。

  • 喫煙はあなたにとって脳卒中の危険性を高めます。疫学的な推計によると、喫煙者は脳卒中により死亡する危険性が非喫煙者に比べて1.7倍高くなります。
  • 疫学的な推計によると、肺がんにより死亡する割合が非喫煙者に比べ2~4倍高くなる。
  • 疫学的な推計によると、たばこを吸う妊婦は、吸わない妊婦に比べ、低出生体重の危険性が約2倍、早産の危険性が約3倍高くなります。

…などである。

 ここで問題にしたいのは、「煙草を吸えば、必ず脳卒中になる」とも「絶対に肺がんになる」とも書かれていない事である。煙草を毎日3箱40年以上吸い続けて健康な人間だっているし、煙草を全く吸わないのに肺がんになる人もいる。

 しかし、喫煙者と非喫煙者の統計から、上記の「危険性を高める割合」は求める事が可能であるし、その統計の数字から「煙草は体に良くない」と言う事も可能である。

 もしも、幼い子供が沢山いる部屋で煙草を吸って、親御さんから「子供達の健康を害するから吸わないで下さい」と言われた時に「煙草吸っても健康な奴もいるんだよ」「煙草の煙を吸った人間全てが不健康になるみたいに一括りしてモノを言うな」と反論したら、どうだろうか?

すべては統計

 煙草の有害性を考える時には、「喫煙者」と「非喫煙者」で評価を行うのは当たり前である。それを「差別だから、やめろ」と否定したら統計学は成り立たなくなる。犯罪統計白書も、様々な犯罪について、都道府県別、男女別、成人と未成年と区別、外国人全体の数字や、個別の国籍による数字、毎月ごとの推移などなど、非常に多くの「括り」に分けられている。それらを分析する事によって、「都市部」に多い犯罪と「過疎地」に多い犯罪であるとか、夏に増える犯罪や冬に増える犯罪など、色々な事が分かる。

 仮に大阪での「ひったくり」の発生件数が、全国平均の5倍だった場合、「大阪に行く時はひったくりに気をつけろ」と言うのは統計学的に正解であると言える。

 しかし、「大阪にもひったくりをしない奴はいるし、東京にもひったくりをする奴はいるんだ」と言って「大阪はひったくりが多い」と言う評価を「差別だから、そのような事実を公開するな」と言えば、これは恐るべき言論弾圧である。

本当に危険な朝鮮人

 そして、私は「朝鮮人」を統計学的に分析して

  • 凶悪犯罪全体で日本人の約3倍、粗暴犯全体で約4倍の危険があり、朝鮮民族は危険である。
  • 朝鮮人の約7%は生活保護であり、日本人と比べて4~5倍多い。

と分析の結果、評価を述べているのである。

 そして、通常の永住外国人は我が国から「素行が善良」「自活能力がある」との要件が求められている事から、朝鮮人に対しても「通常の外国人と同様に扱え」という平等の理念から「素行が不良、或いは、自活能力のない在日朝鮮人に永住資格を与えるのは(通常の外国人に比べて)差別だ」と訴えているのである。

 このような主張を私は、これまでずっと繰り返して来たが、これに対して「それはヘイトスピーチである」と抗議をする人間がいる。

なにがヘイトスピーチか?

 そもそも、何を以って「ヘイトスピーチ」とするかにもよるが、私は自分の主張が正しいと自信を持っている訳なので、百歩譲って、私の主張(或いは、その主張を表現する言葉使い?)が「ヘイトスピーチ」であったとしても、そんな事はたいした事ではない。ヘイトスピーチか否かよりも、「正しい」主張か「誤った」主張かが最も重要な事である。

 仮に、現行のいわゆる「ヘイトスピーチ法」に刑事罰を加えて、「ヘイトスピーチ」を犯罪にし「ゴミはゴミ箱へ、朝鮮人は朝鮮半島へ」と発言する事が犯罪となる時代が到来し、その主張を述べた瞬間に警察が「現行犯逮捕」とやったら、この「政治主張」は国家権力によって封じ込められることになる。

 一部には「正義なら暴走しても良い」として、このような「政治弾圧」を喜んで受入れようとする人達もいるようだが、歴史を見れば「暴走した正義」が何を生んだかは一目瞭然だ。カンボジアのポル・ポト、毛沢東の文化大革命、ベトナム戦争に参戦した韓国軍の「正義」が何を残したのか?

「正義」の暴走がどうなるか

 「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」と言う有名な言葉があるが、暴走した正義は「私はあなたの意見には反対だ、だから、あなたがそれを主張する権利を認めず、妨害を加えて侵害してやる」と堂々と言う訳だ。「次のファシズムは、ファシズム反対の声を共にやって来る」と言う有名な言葉もあるが、正にその言葉の通りになっている。そして、過去の先人達の「警告」も虚しく、今「差別反対」の声と共に差別主義者達が現れている。「差別をやめろ」と声高に叫んで、差別を否定していると思っている人間こそが、真の差別を生み出しているのだ。

属性の分析は当然

 最後に、もう一度だけ述べておく。朝鮮人の評価をするのに、朝鮮人と言う属性で括って分析をするのは当たり前の事であり、公の資料・統計を基に分析して導き出した「評価」を宣伝し、注意喚起を行う事は、この国では言論・表現の自由として認められている。

 ちなみに、私は「朝鮮人は家族思いの民族である」と主張しているが、これも「民族を一括りにしたヘイトスピーチ」になるのだろうか。

(日本国民党政策局長 川東大了)